Eat! Egg! Everyday?

 Eat!Egg!Everyday?


 午前十時過ぎ、快晴。
 どうせまだ寝てるんだろうな。そんなことを考えながら、いつものように万事屋へと続く階段を上っていく。
 いつもと変わらぬ足音、いつもと同じ朝。
 けれどもやがて見えてきた玄関にはいつもと違う箇所がひとつあって、ぽつりと置かれた見慣れぬものの存在に、僕はあれ?と首を傾げた。
「なんだっけ、これ」
 先日たまたま見ていたクイズ番組でこの名称を答えさせる問題が出ていた覚えがあるのだが、そもそも馴染みがないだけで名前を知らないわけではないのだが、駄目だ、ド忘れてしてしまった。というかそもそもなぜこんなものがここにあるんだ。
「銀さんが出前を頼むとは思えないし」
 頭の中に疑問符を並べつつ、ものは試しだと取っ手を掴み持ち上げてみる。軽い。拍子抜けするくらい軽い。
 やっぱり昨日の夜、僕が帰った後で二人だけでこっそり出前を頼んだのろうか。なんだよ、こっちは給料だってろくに払ってもらってないっていうのに。何を食べたっていうんだ。王道にラーメンか。
 半ば八つ当たりする気持ちで、蓋を開け、中を覗き込む。
「……たまご、やき?」
 果たしてそこにあったのは、四角い皿に乗ったそれはそれはおいしそうなたまご焼きだった。


 一日目、たまご焼き。
 茶碗にもられたごはんから、ほんのりと湯気が立ちのぼっている。豆腐とわかめの味噌汁と焼き鮭、イカと大根の煮物。それから、食卓の真ん中に置かれた唯一手つかずの皿に一瞬だけ目をやり、何故か居たたまれなくなくなって目を逸らした。
 喉の奥に空気の塊が詰まっている気がする。
 ごはんを咀嚼し、味噌汁で流し込む。けれども違和感は消えなくて。逆に吐き出してしまった方が楽かもしれないと、隣に座っている神楽ちゃんに言葉を向けた。
「神楽ちゃん、かけすぎだよ」
「んだヨ、ふりかけくらい好きなだけかけさせろヨ」
 そう言って神楽ちゃんは不服そうに頬を膨らませ、最後のおまけだとばかりにふりかけの袋を振り下ろす。そうして口いっぱいにふりかけごはんを頬張り、飲み込んだところで件の手つかずの皿を箸で示した。
「これどうしたアルか」
「なんか新八が持って来た」
「ふーん」
「持って来たっていうか、玄関先に置いてあったんですけど、銀さんが頼んだんじゃないんですか」
「俺が? たまご焼きなら作った方が早いだろ」
「それはまあ、そうですけど」
「でもうち今たまごないアル」
「あ、そうなの?」
 スーパーのチラシ、チェックして来れば良かった。我ながら所帯じみたことを考えながら、イカを口に放りこむ。あ、柔らかくておいしい。お登勢さんからのお裾分けだって言ってたけど、今度作り方でも訊いてみようかな。
 なんて、ますます所帯じみた感想を抱いている僕の視界の隅に、食卓の真ん中に伸びていく二膳の箸が映ったのはその時だった。
「え」思わずこぼれた驚きに、二膳の箸が怪訝そうに動きを止めた。「いや、食べるんだ、と思って」
「そりゃ食べるだろ」
「据え膳食わぬはなんとやらネ」
「神楽ちゃん、それなんか違う。……誰が作ったかも分からないんですよ」
 危なくないですかと続けた僕の言葉に、銀さんと神楽ちゃんは顔を見合わせ、互いに首をちょこんと傾げた。
 僕はひとつ息を吐き、ちょっと待っててくださいと二人の動きを制止した。たまご焼きが入っていた出前に使う入れ物(残念ながら未だもってこの名称を思い出せないでいる)に、例えば書き置きのようなものが入っているかもしれないと思い立ったのだ。
 席を立ち、出前に使う入れ物の蓋を持ち上げ中を覗き見る。すると探るまでもなく、一枚のカードのようなものが底に貼りついていて、けれども、僕が内容を確認するより早く二人はたまご焼きを胃に収めてしまったらしい。
「新八! これ甘いのと甘くないのがあるアル!」
 神楽ちゃんのはしゃぐ声がして、それに重なるように銀さんの口から感嘆の声が漏れ聞こえた。


 二日目、チャーハン。
「これから七日間、私の作るたまご料理を食べてください」
 新八の読み上げた言葉のとおり、今日もそれはあった。それとはもちろん、渡る世間は鬼しかいねえこの野郎でよく見る、例のあの箱である。
「定春、家出る時こんなのあったっけ」
 玄関が開くのを待っている定春に確認のつもりで訊ねれば、わふっ、と機嫌のいい返事。定春は鼻が良いから、中身が分かったのかもしれない。
 昨日のたまご焼きの味を思い出しながら、勢いよく玄関を開ける。
「ただいま~」
「おかえり神楽ちゃん、定春。あ、それ」
「玄関にあったアル」
 言いながら箱を卓の上に置き、蓋を持ち上げる。途端、香ばしい匂いが鼻をくすぐって、お腹の虫がぐうと鳴いた。
「昼にするか」
 ちらりと時計を見上げジャンプを閉じた銀ちゃんと、「じゃあ僕お茶でも淹れますね」そう言って立ち上がった新八の顔が、仕方ないなと言わんばかりににやけていたのは気のせいではないだろう。……なんか腹立つアル。
 二人の姿が見えなくなったのを確認すると、平等に盛られたチャーハンをお返しだとばかりに二口ずつほど自分の皿に盛り分けた。
「いただきます」
 盛り分けたのだが、特にこれといった反応はなく。ちょっと拍子抜けした気分で口に運んだチャーハンの、あまりのおいしさに私は柄にもなくスプーンを動かす手を一瞬止めてしまった。
「僕、こんなにおいしいチャーハン初めて食べました」
 隣から聞こえてきた弾んだ声に、ハッとしてあわてて食事を再開させる。
 いけない。こんなにおいしいチャーハンなのだ。気を抜いていたら、いつどこからスプーンが伸びてくるか知れたものじゃない。そうだ。さっき反応がなかったのだって、私を油断されるための作戦かもしれないのだ。
 食卓は戦場だ。万事屋での暮らしの中で、散々学んできたことじゃないか。私はふんすと鼻を鳴らすと、両手で皿を持ち上げた。
「おいおい急ぎ過ぎだろ」
「よく噛まないと喉につまらせるよ」
 前方から横から聞こえてくる声を聞き流し、黙々とチャーハンを胃に収めていく。そうして、半分ほどが空になったところで皿を置き、
「わはしのふんは、ひゃらないからナ」
 チャーハンを口いっぱいに頬張りながそう宣言すれば、何がおかしいのか銀ちゃんと新八は互いに顔を見合わせ、にやりと口角を持ち上げた。
「誰がテメ―の分なんか取るかよ」
「そんなニヤついた顔で言われても、信じられないアル」
 皿を自分の方に引きよせ腕で囲うようにしながら、にらみつける。ああ、そうだ。どこかで見た顔だと思ったら、先ほどの、昼飯にしようと準備を始めた時の顔にそっくりなのだ。銀ちゃんも新八も。
「いやいや本当に何も企んでないって。俺達はただ楽しく飯を食ってるだけだって。なあ? 新八」
「あたり前じゃないですか。疑われるなんて心外だなぁ」
 ねえ、銀さん。まったくだよ新八君。
 互いに相槌を打ちながら、銀ちゃんと新八はほぼ同時にチャーハンをスプーンですくい、口に運んだ。咀嚼して、飲みこんで、またそれをくり返す。
 私はやれやれとばかりに息を吐き出した。
「疑って悪かったアル」
 そう言って皿を前に出そうとした瞬間、伸びてきてのは二本の手で、渇いた破裂音がスナックお登勢にまで響いていたというのは後で知る話だ。


 三日目、たまごサンド。
 昨日神楽にたたかれた場所がまだ痛む気がする。……やっぱりこれ折れてるんじゃねーの。手首をさすり、回してみる。濡れた手を適当に服になすりつけながら居間に戻れば、ちょうど今日の分を開けているところだったようで、「きれいアル!」神楽の高く弾んだ声が鼓膜を揺らした。
「おーおー今日はなんだった」
「銀ちゃん! 見てコレ!」
 たまご料理が届き始めてからもう三日目だ。内心期待に胸を膨らませつつ、促されるままに卓の上を覗きこむ。覗きこんで、見慣れぬものの存在に目を眇めた。
「なんだこれ」
「たまごサンドアル」
「ちげーよ」
 そっちじゃなくて、こっち。そう言って入れ物―――かご―――の方を指差せば、今頃気が付いたらしい。「そういえばいつもと違うアルナ」などと言いながら、しきりに首を傾げている。
「ていうかお前が持って来たんじゃないの」
「気にも止めなかったネ」
 さらりと答えた神楽の意識は早くもたまごサンドに戻ったようだ。これがいわゆる色気より食い気ってやつか。
 まあ、たまごサンドなんて一昨日のたまご焼きや昨日のチャーハンと違ってうちじゃ滅多に作らないから、気持ちはわからなくもないが。
「ん?」
 その時、ふと視線の端に違和感を覚えた。
「なにしてるネ」
「銀ちゃん抜け駆けする気アルか」
 ぎゃあぎゃあとうるさい神楽を無視して、かごの中にそっと手を滑りこませる。目当てのものを抜き取ってみれば思ったとおり一枚の紙で、そこには見覚えのある文字で、
「これを持って皆さんでピクニックに行ってください」と書かれていた。
「……」
「どうしたアルか」
「いや、なんでも」
「さっきから怪しいアル。何を隠してるネッ」
 面倒くさいから無視してしまおうという思惑はしかし、神楽に邪魔されタイミング悪くやって来た新八に手から落ちた紙を拾われ、
「いいですね、ピクニック」
「定春出かけるヨ~」
 あれよあれよという間にピクニックは決行。半ば引きずられるようにして、俺は柔らかな芝生を踏みつけた。
 見上げた空が高い。時折頬を撫でる風はさわやかで、あちらこちらからガキどものはしゃいだ声が聞こえてくる。
「いい天気ですね」
「俺ァ、家でのんびりしてたかったよ」
「まだ言うつもりですか。せっかく来たんだから楽しみましょうよ。はい、神楽ちゃん、こぼさないように気を付けてね。銀さんもどうぞ」
 渡された紙コップを脇に置き、ビニールシートの真ん中、俺たち囲われるように鎮座しているかごに手を伸ばす。伸ばして、蓋を開け、
「あれ?」
 違和感にまたも目を眇めた。
「どうかしましたか」
「いや、中身こんなだったけ」
「僕は今初めて見たので、おいしそうだなとしか。どう、神楽ちゃん」
「特に気にならないアル」
 そう言いながら神楽の口はもごもご動き、かと思えばあっと思う間もなく白い喉が上下した。もう一個食ったのかよ。
「うん銀さんの勘違いだったかも。最初からこうだったわ」
 矢継ぎ早に舌を回し、手前にあったやつを掴んで口に放りこむ。あ、うまい。食パンとたまご焼きのバランスがちょうどいい気がする。そういえばこの前流れで結野アナが軽く食レポみたいなことしてたけど、あれは良かったな。うん。あれは実によかった。まあ、できれば俺は結野アナ自身をレポートしたいけど。
「新八新八、銀ちゃんがサンドイッチ片手に固まってるアル」
「え、あ、ホントだ。しかもなんかにやけてない?」
「絶対エロいこと考えてるアル」
「ごほんッ」
 冷たい視線を追い払うように咳払いをひとつこしらえ、気を取り直そうとなんでもない素振りでかごに手を伸ばす。刹那逡巡し、食パンではなくロールパンに潰したゆでたまごを挟んだ方を取ろうとしたその手を、寸でのところで引っこめたのはまたも異常に気付いてしまったからだ。
「どうかしたんですか」
「いや、なんていうか」
「今日の銀ちゃんはちょっとおかしいアル」
「これ増えてね?」
「あ、あの! たまごサンドは飽きましたか」
 時が止まるとはまさにこのことだろう。俺たちは互いに顔を見合わせ、芝生の上で気持ちよさそうに丸まっている定春を見やり、それから、ビニールシートの真ん中で鎮座しているかごへと視線を向けた。
「……今、このかごしゃべ、」
「ご、ごめんなさい! 驚かせるつもりはなかったんですっ」目の前でかごが動いた。「よろずやさんたくさん食べるので、たくさんあった方がいいかと思ったんですけど」
「ちょ、ちょっと待ってください。もしかして、天人ですか」
 新八の問いに肯定の意味をこめてか、かごがふるりと揺れた。揺れて、ぱっちりとした目が現れた。睫毛なげーな。
「自己紹介がまだでしたね。わたしは口福星のオカダと申します」
 料理人ばかりが暮らす星・口福星で見習い料理人をしているオカダは、修行のためにやってきた江戸で偶然万事屋の存在を知り、これはいい機会だとたまご料理ふるまうことを決めたと。要約するとこういうことらしい。
「それなら、うちじゃなくてもっと他に良い場所があったんじゃ」
「いえ、みなさんおいしそうに食べてくださるので、やりがいがありました」
「実際おいしかったネ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「どうせならずっと居てくれてもいいんだけど」
「それは、ダメなんです。じつは昨日実家から電話がありまして、今日星に帰ることになってるんです」
 これはお礼というほどのものではないんですけど。そう言って蓋を閉じたオカダの中から、次の瞬間出てきたのはプリンで、
「デザートです。お口にあえばいいんですけど」
 オカダの言葉が終わるよりも早く、三人揃って手を伸ばしたのはもはや致し方ないことだろう。
「おいしいです」
「おいしいアル!」
 新八と神楽の感想にオカダが喜色満面の笑みを浮かべて、そこから先は本当に一瞬だった。オカダは俺からうまかったの一言を引き出したかと思えば、お礼の言葉とともに宙に浮き、よほど急いでいたらしい。止める間もなく焦った様子でどこかに飛んで行ってしまった。
「……明日の朝は目玉焼きにするか」
「そうですね」
「私たまご2個にするアル」
 穏やかな風が頬を撫でた。後に残ったのは、空になった容器ばかりだ。
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