キューピッド、出番なし

 キューピッド、出番なし


 真選組の宴会は、しばしば女の話で盛り上がる。
 この日も例外ではなく。三丁目のコンビニの店員がかわいいだとか、馴染みの定食屋の娘のおっぱいがでかいだとか、どこそこのキャバ嬢が優しくしてくれただとか。そんな会話があちこちで飛び交い、肴にもならない隊士たちの下卑た笑い声が、幾度も空気を震わせていた。ほんの数秒前までの話だ。
「副長はどなたか良い人はおられないのですか」
 風船のように膨らんでいた陽気な空気は、一人の隊士が放ったたった一言によって、一瞬にして破裂した。
 あるいは膨らんでいた風船は、水風船だったのかもしれない。
 如実に下がった室温を首筋に感じながら、沖田は声のした方に視線を向けた。なるほど、どんな怖いもの知らずかと思ったら、質問を投げかけたのは先日入隊したばかりの新入りらしい。
「バカお前」
「殺されるぞ」
 などと慌てている周囲をよそに好奇心を隠しきれていないあたり、将来大物になりそうだ。配属先がまだ決まっていないようなら、一番隊に入れてもらえるよう掛け合ってみよう。
 沖田は新しいおもちゃを見つけたような、愉快な気持ちで部屋の片隅で一匹狼を気取っている土方の様子をうかがい見た。
 だいぶ酔いが回っているのだろう。本人が隠しているので下っ端の隊士まではほとんど知れ渡っていないが、土方は酒に弱い。いわゆる下戸というやつだ。
 その酒でふやけた瞳を眇めながら、土方が「アァ?」と威嚇するような声を発した。沖田の斜向かいに座っている会計方が箸を取り落した。お猪口が乱雑に置かれる音が響いて、宴会場に緊張感が走った。
 多分、今この場を楽しんでいるのは二人だけだ。自分と、質問をした新入隊士と。沖田は唇を引き結ぶと、土方の次の言葉を待った。
「なんだ、あまりにも静かだから、俺が便所に行ってる間にお開きになったかと思ったぞ」
 けれども、沈黙を破るように言葉を発したのは近藤で、
「どうしたトシ、眉間に皺なんてよせて」
 近藤は土方の隣にどかりと腰を下ろすと、土方の肩を抱くように腕を回して破顔した。
「……あんた酔ってるだろ」
 土方の眉間の皺が深まるのとは対照的に、隊士たちの間に流れていた緊迫した空気が和らいでいく。誰かが酒を追加しようと提案して、それでもう、土方のいるかもわからない良い人の話題は立ち消えとなった。
 それにしても、と沖田は天井を見上げる。あれはなんだったのだろうか。首元のボタンをひとつ外し、探るように手のひらを畳に這わせる。たわむれに爪を立てれば、藺草の懐かしい香りが鼻腔をくすぐった。
「ザキはどう思う」
「なにがですか」
 文机にかじりついたまま、山崎が言った。
 よくは知らないが急いで仕上げなければならない報告書があるらしい。このままじゃ副長に殺されると慌てている様は、さながら夏休み最終日の子供のようだったとは、ここに入る前に行き合った原田の言葉だ。
「やっぱり山崎じゃわからねぇか」
「だからなんの、あッちょっとォ! 畳に爪立てるのやめてくださいよ!」
 飛んできた唾をあしらうように、沖田は目を閉じた。両手を枕にして頭を支え、足を軽く組む。
 既視感。デジャヴ。言い換えたところで意味は同じだ。とどのつまり沖田は、先日の宴会で酔った近藤に絡まれた際に土方がまとった空気を、どこかで感じたことがある気がしてならないのである。
 直接本人に確認することも考えた。けれども空気の話などあまりに漠然とし過ぎているし、何よりも当日は飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで、そんな暇はなかった。そのうえ翌日には近藤土方両人揃って出張のために宇宙に飛んで行ってしまったのだから、どうしようもない。
 まるで魚の小骨が喉に引っかかっているような違和感に、三日も耐えた自分を褒めて欲しいくらいだ。
 沖田は目を開き、天井を睨みつけた。天井の木目が顔に見えて怖いと、姉のミツバにしがみついていたのは近藤たちと出会う前、まだ五つになるかどうかの頃の話だ。
「十四郎さんの側にいたい」
 不意に耳元でよみがえった声に、大袈裟ではなく跳ね起きた。
「……何時に帰って来るっつってた」
「局長たちですか? 俺も今日中としか。でも、」山崎は柱にかけられた時計に目を向けた。「夜になると思いますよ」
 現在時刻は午後五時十分。日はまだ高く、開け放たれた障子戸の向こうには、大きな入道雲を背負った空が顔を覗かせている。沖田は口の中でそうか呟くと、再び畳の上に体を横たえた。
 姉上との思い出を反芻していたから、記憶が連鎖したのだろう。そう思うとして思いきれないのは、たどり着こうとしている既視感の正体が、にわかには信じきれないものだからだ。
 沖田は近藤のことが好きだ。
 沖田だけではない。報告書を必死になって仕上げている山崎だって、大物になりそうだと見込んだ新入隊士だって、真選組の隊士は皆、大なり小なり差はあれど近藤のことを好いている。そしてそれは敬愛と呼ばれる類のものであり、恋愛とはまた違うものである、と沖田は認識している。していた。今この瞬間までは。
 土方は違うのではないか。土方は、恋愛対象として近藤のことを好きなのではないか。沖田の好きと土方の好きは違うのではないか。
 勘違いかもしれない。けれども否定するにはあまりにも、側にいたいと言ったミツバと近藤に絡まれた際に土方のまとっていた空気があまりにも、似すぎているのだそれこそ思わず跳ね起きてしまうほどに。
 沖田は腹の上に置いていた手を自分の胸にあててみた。鼓動が少し早い気がする。汗ばんだ肌が不快だ。
「山崎は好きなやつとかいねーの」
「なんですか急に」
「たまさんは?」
「たっ! たまさんはそんなんじゃ……もしかして、気付いたんですか」
 ささやくような確認に、沖田は上体を起こすと山崎ににじり寄った。
「なんでィ、山崎も気付いてたのか」
「まあ、一応」
「どう思う」
「どう思うって。そりゃあ最初は驚きましたけど、二人ともいい大人なんだし、こっちがとやかく言うことでもないと思いますよ」
 確かに山崎の言うとおりかもしれない。沖田は頷こうとして、あれ、と内心で首を傾げた。山崎の口ぶりが、まるで近藤と土方の二人は既に付き合っていると言っているようにも聞こえたのだ。沖田は確認する気もないのに時計を見て、少しだけ橙色の増した空を見て、最後に山崎に視線を戻した。土方さんの片想いじゃねーの。
「たっだいま~」
 玄関の方からよく響く大きな声が聴こえてきたのはその時だ。
 沖田は開きかけていた口を閉じ言葉を飲み込むと、殺されるとわななきながら再び報告書に向き合っている山崎を尻目に腰を上げた。
 少し痺れている足を前に運びながら、思ったより早かったですね、なんて声をかけようかと考える。
 二人の関係を詮索するのは後にしよう。今はすべきは、長旅で疲れているであろう近藤と、癪ではあるがついでにおまけに土方を労うことだ。そう心に決めて長い廊下を進んで行った先、角を曲がった視界の先で、二つの影がくっついて離れた。
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