飴、のち

 飴、のち


 空気に色がついているならば、きっと今はどんよりとした灰色だろう。
「新八、定春の散歩に行って来るネ」
「あ、うん。いってらっしゃい」
「行くヨ定春〜」
 神楽の呼びかけに答えるように定春が吠え、賑やかに足音が遠ざかって行く。新八はあげていた手をおろすと、ソファの方に視線を投げた。
「……あんたたち、まだ喧嘩してるんですか」
 呆れたところで銀時からの返事はない。
 神楽が出て行く寸前、雑誌からわずかにではあるが顔を覗かせてその姿を目で追っていたくせに、そんな素振りすらなかった、と言わんばかりにジャンプにかじりついている。ぶつぶつと、口の中で批評めいたことを呟いているのが滑稽だ。  
新八はこれみよがしにため息を吐いた。神楽は、一度たりとも銀時を見なかった。散歩に出かけると告げた声は平坦で、寒々しさすら感じられた。
 3日だ。新八の知る限りすでに3日、銀時と神楽はまともに口をきいていない。
 原因は知らない。所用でもらった2日間の休み明け、いつものように万事屋におもむいたらこうなっていた。
 最初こそ、仲直りさせられないかと半ば躍起になっていた新八だが、なにを言っても歯牙にもかけない二人を前に、もういいや放っておこうと諦め今に至る。
 至るのだが、空気の重さによそよそさしさに、そろそろいい加減にしてくれという思いが頭をもたげはじめているのが現状だ。
「昨日と変わって、今日は風も穏やかですね。結野アナ」
「はい。ご覧のとおり、雲ひとつない青空が広がっています」
 不意に耳をついた音声に、もうそんな時間かと時計を見やる。テレビの中では結野アナがにこやかに天気を伝えており、彼女が告げた午後の予報に、新八はあれと首を傾げた。
「飴って言いましたか」
「あ? 雨だろ」
 結野アナを見送り、適当にチャンネルを回しながら、欠伸まじりに銀時が答えた。
 テレビの中の結野アナが、
「飴に気をつけてください」
 と言ったように聞こえたのだが、自分の聞き間違いか、あるいは結野アナの方でちょっとした拍子に訛ってしまっただけだろう。稀によくあることだ。それよりも、雨が降るなら早めに洗濯物を取りこんだ方がいいかもしれない。新八は、雨の降る気配などみじんもない空に目を向けた。
 ところが、どちらでもなかった。さすが結野アナと讃えるべきか。聞き間違い、あるいはちょっとした拍子に訛ってしまった、そのどちらもが不正解だったのである。
 降ったのだ。雨ではなく、飴が。
 午後3時を少し回った時分。洗濯物をたたみ終え、お茶でも飲もうと立ち上がった新八は、先ほどから気にかかっていた外の喧噪を確かめようと、玄関の戸に手をかけた。
 がらりと音をたてて心地よい風が頬をなでる。
 刹那、新八は言葉を失った。
 穏やかな陽の光の下、飛びこんできた景色があまりにも非現実的に、幻影を見ているのではないかと疑いたくなるほどの色鮮やかさで輝いていたからだ。粒だ。まるくて小さな粒の入った包み紙が、町のあちらこちらに転がっている。
 初め、新八はそれが飴だとわからなかった。ひょいと地面に手を伸ばした幼子が広げた包み紙の中身を口に運ぶのを見て、結野アナの予報の本当の意味を理解したのである。母親に叱られたのだろう。甲高い泣き声が空にひとすじ流れていく。
「お登勢さん! これどうしたんですか」
 子供の声に釣られたというわけではないだろうが、タイミングよく店先に顔を出した姿に声をかければ、お登勢は新八の方を振り仰ぐようにして、「こっちが聞きたいよ」と僅かに眉をひそめた。
 店で最初に異変を認知したのはたまだったと、カウンターの向こうでお登勢が言った。
「戻るなり飴が降ってきましたなんて言い出すから、何事かと思ったよ」
「あはは。でも、本当にどうしちゃったんでしょうね」
 階段を降りながら改めて目にした光景を思い出しながら、新八は頷いた。テレビの中では有識者たちが異常気象ではないか、天人が船から落としたのではないかなどと侃侃諤諤と議論を交わし、レポーターを務める花野アナが道行く人々にマイクを向けている。
「そういや神楽はどうしたんだい」
「定春の散歩」
 お登勢の質問に答えたのは、意外にも銀時だった。
「おや、喧嘩はもう終わったのかい」
 しかし揶揄する声には応えるつもりがないらしい。頬杖をつき、ナッツでも食べているのか、面倒臭そうに口を動かしている。
 新八は手の横で作った筒を口元にあてると、お登勢に向かって身を乗り出した。銀時の様子をちらりと横目でうかがいながら、内緒話をするように声をひそめる。
「なにがあったんですか、あの二人」
 お登勢は一瞬意外そうな顔をして、すぐに「くだらないことさ」と切って捨てた。事のあらましを聞いた新八も、確かにそれはくだらないと心の底から同意した。食べ物の恨みは恐ろしいとはよく言うが、おかずの取り合いを、しかも一回りは年下の相手にここまで引っ張るとは。大人げないと言う他ないだろう。
「早いとこ謝った方がいいんじゃないですか」
 もっとも、助言したところで折れる銀時とは思えないが。
「やっぱり謝った方がいいよなぁ」
 ほら、やっぱり。と呆れようとして、新八は耳を疑った。お登勢も驚いた様子で、
「変なモノでも食べたのかい」
 と、目を見開いている。カン、と鈍く響いた高い音は、お登勢が計量スプーンを落とした音だ。
「どうしたんですか急に。あんたらしくもない」
「新しい情報が入ってきました」
 新八が銀時の顔を覗きこんだのとほぼ同時に、テレビの中の花野アナが矢継ぎ早にそう告げた。
 曰く、今回江戸中にばらまかれた飴は天人が誤って落としたものであるという。加えて、人体にどんな影響があるか分からないので決して口に入れないでください、とも花野アナは言った。
 いくら飴とは言え、空から降ってきた得体の知れないものを食べる者など早々いないだろう。子供でもあるまいに。そう一笑に付そうとして失敗したのは、ひとつの可能性に行き着いたからだ。
 新八はカウンターテーブルの上に置かれた銀時の左手に目を向けた。ゆるく握られている拳の隙間から、覗いているのはかわいらしい桃色だ。
「拾い食いとは感心しないねぇ」
お登勢の言葉に、新八はうんうん頷いた。
「なにがだよ」
「それですよ。その飴の包み」
 言いながら、ぐいぐいと銀時の手元に人差し指を突きつける。銀時は頬杖をつくと、怠惰そうに飴の包みをつまみ上げ、飴ねぇ、とさして興味のなさそうな声で呟いた。
「どこか変なとことかないんですか」
「ねーよ」
「神楽ちゃんに謝らなくていいんですか」
「あーマジで早いとこ謝んねーとなァ」
 ほら、あるじゃないか。変なところ。新八はお登勢と顔を見合わせ肩をすくめた。
 基本的に、銀時は謝らない人間だ。謝ったら負けだとでも思っているのか、までは知らないが、どう考えても銀時が悪いという場面でも頑として頭を下げない。悪いの一言すら口にしない。
 それが少しつついただけで不安を滲ませるのだから、これを変と言わずになんと言おう。
 人差し指の関節を下唇にあて、思案する。花野アナの言っていた、あるかもしれない人体への影響とはこのことなのだろうか。
「自分の気持ちに正直になるっていうのが、人への影響なんですかね」
「さぁねぇ。ただ、正直になったところで、こいつが素直に謝るとも思えないけどね」
「確かに」
「なんか、さっきから馬鹿にされてる気がするんだけど」
 不服そうに銀時が言った。
「馬鹿になんてしてませんよ。ね、お登勢さん。でも、本当に。謝る気があるならさっさと謝った方がいいですよ」
「おや。噂をすればなんとやらだ」
 お登勢の声に新八は入り口の方を見た。するとちょうど神楽が敷居を跨いでいるところで、神楽はカウンター席に向かってまっすぐ進んでくると、顎を少し突き出すしぐさをして、そして、銀時の隣に腰掛けた。
「コロナミンC」
などと大人ぶっている神楽を横目に、新八は銀時を肘でつついた。
「銀さん、チャンスですよ。チャンス」
 小声でそう促せば、銀時はわざとらしい咳払いをひとつして、
「あー、神楽ちゃん? この前のことなんだけどさ。なんて言うの?銀さん言い過ぎたっていうか、大人げなかったっていうか」
「ごめんネ」
「え」
 思わずこぼれた声に、新八は自らの手で自らの口を押さえた。神楽は照れくさそうにうつむき口元をゆるめ、驚いたのだろう銀時は唇を一文字に結び固まっている。
 色が着いた、と新八は心の中で歓喜した。
「ほら、銀さんも」
 銀時の口からも謝罪の言葉を引き出そうと、銀時の背中をそっと叩いた。
 銀時と神楽、二人の視線が交わって、間に流れている空気がやわらいでいくのがわかる。空気に色が着いているならば、きっと今は眩しいくらいに色鮮やかだ。さながら、街のそこかしこに転がっている飴玉のように。
 だからどうか、聞き間違いであって欲しい。間違いであって欲しい。
 飴がもたらす人体への影響が、思ってもいないことを言うなんてまさかそんな。
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